ぼうずのプロフィール

ここでは、ni.wrap発起人のぼうずのプロフィールをご紹介します。

どんな人がやっているの?この人はどんな経験から話をしているの?なんて思う方は目を通していただけると嬉しいです。かなり細かく書いたので、テキトーに飛ばしてください。

幼少期

1984年にぼうずは神奈川県で生まれました。1歳半上の兄がいます。その後、2歳下の弟が生まれ、4歳半下の妹が生まれ、4人兄弟妹となりました。自称・2歳前から中間管理職です。

幼稚園

同級生たちはサッカーをしていましたが、ぼうずはひたすら泥団子を鳥小屋の前で(ここの土が粘土質で良い)作っていました。うまく丸く、つややかにできたときは持ち帰り、自宅の玄関横に並べていました。
後に聞くと幼稚園の授業?に呼ばれても、泥団子を作っている程度にはマイペースだったようです。

小学校

自宅から徒歩3分くらいの小学校に通いました。小学校に入ってからやっとサッカーに興味を持ちました。習い事はサッカーと習字と水泳。それと母がピアノを教えていたので、自分も弾いていました。もう弾けません。30年経ってますから。

高学年になり、1学年上の兄とともに進学塾に通い始めました。中学受験勉強です。努力がちゃんと点数に繋がるのが楽しかったのか、割とちゃんと勉強して、割とちゃんと点数伸びました。

中学校

中学受験に成功し、私立大学付属中学校へ入りました。さすが受験を超えてきた人たち、自分が特別じゃないことを思い知りました。

部活は、陸上部に入りました。サッカー部に入ろうと思っていたのに、同級生に誘われて断れなかった程度にはコミュ障でした。結局陸上でサッカーをやるのが楽しくて、2年生に進級する際にサッカー部に転部しました。退部届を顧問の先生に出すのにめっちゃ緊張した思い出があります。そして、サッカー部では、すでに1年のつながりがある同級生たちの輪に入りにくかった思い出もあります。最初から自分の興味通りサッカー部に入っていれば良かったのに…と後悔しました。

サッカー部は楽しいながら、小柄だった自分の体型を恨んだりもしました。

成績は中の上くらいだったと思います。

高校

そのまま付属高校へ進学しました。中学→高校の春休み、付属なので高校のサッカー部の練習に参加できる制度がありました。まだ中学生なのに高校の練習なんか出たくないな、とか思って出ませんでした。結果、高校生になってもサッカー部に入りませんでした。また出足が悪かったです。

学校が終われば直帰、家でゲームばっかりやってました。見かねた母にアルバイトでもすれば、と言われ素直に始めました。高校1年生が終わる頃だったと思います。近くのスーパーの品出し&レジです。

初めて社会に出て、おじさんやおばさんとのコミュニケーションは新鮮でした。なにより中高男子校だった自分には、大学生のお姉様たちは眩しかったです。狭いレジに2人で入り、研修してもらったときは赤面していたもんです。

高1のときの成績は中の中。アルバイトを始めたからって成績落とさないように、という親の忠告がありましたが、高2は全然勉強しませんでした。なのになぜか成績は上がり、自分を天才だと思いました。調子に乗って勉強しなかった高3では留年しそうなくらい成績が落ち、天才ではないことを改めて思い知らされました。担任の先生に言われた「周りに同じような点数の友達がいるから安心しているかもしれないけど、ほんの数人が極端に低いだけで、他の生徒とは平均点で10点以上差がある」というセリフは今も覚えています。数学では1人でクラスの平均点2点くらい下げた功労者でした。

でも付属で良かった。ギリ大学には進学できました。クラスの最下位争い仲間は1人留年しました。

大学

すでに学力は学年の下位層にいたところに、さらに外部からの受験組が入り、絶望的な地位になりました。できないことにやる気も出ず、教室には入っているけど、全然授業が耳に入っていませんでした。ホントに暗号状態。

結果、大学1年生では全然単位が取れずに留年しました。2回目の1年生の健康診断で、高校の時の最下位争い仲間と再開しました。

2回目の1年生では、前年取れなかった科目だけの受講になるので、週5通学だけど、だいたい3コマ目までに時間割は終わる感じでした。
ずっと続けていたアルバイトが3年くらい経ち、作業も覚え、話せる人も増え、楽しくなっていました。もはやアルバイトの方が楽しくて、アルバイト先で青春感じてました。彼女もできたり。

大学が前期が終わったところで、2回目の1年生も留年がほぼ確定的になってきました。当たり前に怒られ、家庭教師をつけられつけてもらいましたが、結果留年。1年生も3回目を迎えることになりました。学則としては、1年生と2年生を4年間で超えないといけない、というものだったのでまだ通える状況でしたが、これ以上「落ちこぼれ」を続けているのも心が持たず、大学を中退しました。

専門学校

大学中退後にフリーターを挟んでしまうと、堕落していくのが目に見えていたので、間を空けずに専門学校へ進学しました。ここでの肩書は特待生。留年生からの特待生。俺は俺なのに何なんだろう、と戸惑ったものです。通った学校には、学科ごとのクラスがあり、高校時代と似た感じです。みんな年下でした。もっとおじさんとかいると思ったのに。

そこそこ勉強して資格取ったり、特待生なのに寝坊グセが治らず遅刻したり、まぁ一番青春って感じでした。夏に海でBBQやったり、冬にスノボに行ったり。

学校推薦のあるIT系の会社に就職も決まりました。

高校時代に始めたアルバイトは専門学校卒業まで約7年続けました。その間に学校は3つ通いました。

社会人になって

1社目

新卒で就職したIT会社では、興味のある分野だけど、やりたい作業ができないようなモヤモヤを抱えていました。

2年目の秋に、初めて実家を出ました。当時は仕事も忙しく、日付が変わる頃にコンビニ弁当持って帰って、食べて風呂入って寝るだけの生活でした。週末には友人カップルがよく遊びに来てくれて、「カップルと同棲している」なんて言っていたもんです。

3年目になった夏、心が壊れました。

仕事のプレッシャーと、誰にどう相談してよいかわからず、抱え込み、抱えられなくなり、動けなくなりました。当時の常駐先からの電話を無視し、自社からの電話を無視し、実家からの電話を無視し、みんなが家のチャイムを鳴らしました。それでも無視した結果、大家さんがマスターキー持ってくる事態になりました。その時の家の外から自分の名前を呼ぶ親の声は一生忘れないと思います。

そして、そこから休職になりました。

社会から脱落した、自分は社会不適合者なんだ、と責めたもんです。通院や服薬も始まり、「病人」としての生活になりました。アパートも引き払い、実家に戻りました。戻れる実家があって、ご飯を作ってくれる親がいて、どれだけありがたかったか。

症状は、頭痛、倦怠感、過眠などです。寝られない方が多いと思いますが、自分は寝続けました。朝も起きれず、昼間も眠く、夜も寝る。

規則上、1年半の休職が認められており、その期限終了に伴い復職しました。

知っている人たちにどう接して良いかわかりませんでした。逆に似たような経験をしている方にはとても優しく接してもらいました。経験者の言葉には説得力がありました。

結果としては、復職半年後くらいに業務の負荷が上がってきた頃、動けなくなりました。朝は起きられる。ご飯も食べられる。スーツに着替えて、部屋のドアノブを掴むと、動けない。涙が出る。

規則上、休職できる期間は残っていないので、退職となりました。在籍約5年でした。

ふたたび自己肯定感はダダ下がりです。

無職期間1

退職後、自宅療養をして体調を戻していきました。休職と違って、「戻らなければ」とか、「またあの嫌な職場に行かなければ」みたいなプレシャーがない分、回復が早かったように思います。

学生時代の友人から「リハビリ兼ねてバイトしない?」ということで、週1〜2程度の派遣のバイトもしました。作業は検品。

2社目

たまに検品のバイトをしていたところ、そこの社員さんが退職するので後釜を探している、と連絡をいただきました。雇用形態がパートということもあり、その時はあまり深く考えずにやりたいです、と面接してもらいました。無事採用。

メインは検品のバイトさんの作業管理と、倉庫の管理、商品の出荷作業や配送業務。難易度的にはそこまでではないので、社会復帰のリハビリ的にはちょうど良かったです。

それから半年後、正社員登用のお話をいただき、無事正社員に。業務難易度は少し上がり、在庫管理から発注など物流系の事務になりました。会社自体は、グローバルな企業だったので、発注などには英語が必要で、Google翻訳にお世話になったものです。

この頃には、服薬量も徐々に減らしながら、一度通院服薬から卒業できました。

作業難易度が上がったことや、そもそも人数が少ない会社だったので個人の責任も裁量も大きいのが、徐々にプレッシャーとなりました。労働時間も月50時間程度は残業していました。

会社の代表が刺激的な人に変わったことや、同僚の退職、自分に負荷がかかってきたにも関わらず残業はさせてもらえない、などの状況になってきたのが、正社員登用から2年と少し過ぎたころ。

ふたたび心が壊れました。

変な話、心が疲弊した経験から「あ、これダメなヤツ」がわかり、通院服薬再開です。仕事は休職となりました。

この休職期間に、母親から「リワーク」というものがあると聞きました。休職している人が、復職に向けて行うトレーニングだと。ネットで検索して、なんとなくどういうものかわかったものの、「自分はそこまで落ちぶれていない」なんて突っぱねる気持ちがあったのも正直なところです。

結果的にはリワークに通うことなく、休職期間が満了してしまい、体調は戻っていないことから、退職となりました。

無職期間2

前職退職後も自宅療養を続けている中で、素朴な疑問が浮かんできました。

「なんで俺はこんなに休職を繰り返す?」

「俺は社会には適合できないのか?」

「みんなはどうやって気持ちを保っているんだ?」

などです。

なんか、今までの自分のままではうまく働き続けることができない。みんなと違う何かがある。そう思い「リワーク」のことも思い出しつつ、次の職場を探す前に、自分も見直す必要があるな、と感じました。

この時点では無職だったので「職場復帰支援」ではなく「再就職支援」を受けようと思いました。

そして、就労移行支援事業所に通うことにしました。選んだのは、精神系の人をメインにしている事業所。就労移行支援事業所には、就職活動対策としてパソコン教室みたいなプログラムがあるところも多く、自分が求めているものとは違うな、と思っていました。CBT(認知行動療法)など、メンタル系のプログラムが多いところを選びました。初日はとても緊張しました。

就労移行に通いながら、障害手帳の申請もすることにしました。正直「あなたは平気だから取れないよ」と言われたくて、言われるつもりでいましたが、無事3級の手帳を取得できてしまいました。モヤモヤしたものです。